日々身体を整えるという事は
毎日同じ作業をしていればいいというわけではなく
思いの外、骨の折れる作業であり
日々研究であります。
いつも同じ環境ではなく
体の使い方
食べるものや食べ方
疲れ方
季節
長い目で見れば歳も取ってきます。
思わぬ怪我をしてしまうこともある。
怪我といえば自分の場合は
フットサルで捻挫をしてしまったり
腰を捻ってしまったりという
怪我をした後のケアが
一番骨が折れる。。。
と言うか
ん〜
つい気付くと手抜きになってしまっていて
後になって後悔することが多い
捻挫などの軽い怪我の場合
別に命に支障があるわけでもなく
その場は痛くてもそこそこケアすれば数日で
違和感はあっても普通に生活できてしまう。
これが逆に厄介でありまして
まずその場で硬直した筋肉を緩めることまではやりますが
炎症自体は5日間は抜けないので
これは経過するしかない。
その間も普通に日々整えてはいるのですが
炎症の痛みはしょうがない
けれどももそれなりには調節できてるので
痛い度合いも最小限で済んでしまっている事で
とりあえず
他の箇所、例えば首や肩などの疲れやハリを調節することを
つい優先してしまう。
その間に
ここが落とし穴になってしまうんですが
自然に痛みが引いて多少硬さが残っていても痛く無くなってしまっている事で
忘れてしまって
とりあえずの整え方が普通になってしまう。
別に
それで体が整ってない感があるわけではないので
日々整えてると思い込んでしまい
なんとなく1〜2ヶ月経って
あれっ?
なんか最近腰が張りやすいなぁ
首肩を整える時、整いにくいなぁ
あらっ?
なんか最近スッキリしないなぁ
目が霞みやすいなぁ
歳のせいかなぁ?
なんて言って
すっかり捻挫をしていたことを忘れてる。
その間に
ちゃんと整えられている時は
息を最後まで吐ききって
しっかりと恥骨から脳天まで呼吸が行き渡っているのに
それが
ヘソの所くらいまでで終わってしまっている事に気付きもせずに
その中途半端な呼吸に慣れてしまっていて、ちゃんと整っていると思っちゃってる。
それによって
徐々にゆっくりとした呼吸がしにくくなり
落ち着きがなくなり
自分のスピード、バランスが崩れ
でもそれが当たり前になっていると
それが普通だと勘違いし
なんでだろうな?
ちゃんとやってるのにな
と
イライラしてきて
それでも気付かずにいると
今度は若干の不安感が出てきて
でも
これが歳ってもんなのかな?とか
まぁ何なんとかなるでしょうと
妥協して
自分が整える事に集中するよりも
日々の仕事や生活
自分以外の忙しさが優先のまま
まずは自分からっていう順番が崩れていることさえも気付かなくなってしまう。
そして、いよいよ
自分の外の感覚に違和感が出てきて
やっと
本気で自分と向き合った時に
そういえば。。。
と
やっと捻挫してた時からのことに気付き
ようやくことの重大さにたどり着く
気づけば2ヶ月経ってるってことになるわけです。
しかし
これがわかったからってそれで解決じゃぁない
ここからが大変
人間ってのは困ったもので
気づいたら気付いたで
今度は早く治さなきゃって、躍起になってしまう。
焦って治そうとしてしまう。
すでにその時にはしっかり整っている体ではないので
当然
普段だったら気づけることを当たり前に見落としてしまっている。
落ち着きがなく
わさわさしてしまっている訳で
いくら頭で分かっていても
ゆっくりと落ち着いた心持ちには到底なれていない。
がゆえに
思い出したかのように恥骨を意識し
骨盤周りの詰まりや股関節の張りに力任せに響かせようとしてしまう。
初めのうちはそれでも
今まで滞っていたところに呼吸が通るので
痛いなりにも気持ちが良い
お〜
思い出してきた!!
気持ちが良いぞ!!
そうそうこの感じ!!
頭もスッキリしてきて全体の力も抜けてキタァ!!
よ〜しこの調子!!
と
テンションが上がり
結局
やり過ぎてしまう。
結果次の日は
全身の筋肉痛
あ〜
またやってしまった。
ようやくじっくりゆっくり整えざるおえなくなるのです。
そして結局それからちゃんと整うまで
1週間近くかけて整えることになる。
本当に人ってのは。。。。
と
毎回こうなるたびに思うのです。
スピード、とバランスと強弱
その
さじ加減
分かってはいても
それが出来ない時というのは
やはり出来ないなりの体の崩れがあるってことです。
そんな時は
失敗しても良いからその時のテンションで
その時の最善をやって
思い出したり、気付いていくしかないのでしょうね。
ただ大切なことは
どんな時でも諦めないって事
必ず出口はあるということをなんとか忘れずにいる事ですな
そして
いざという時の精神力が最も大切なんだろうなと思うのです。
ちゃんと体が整っている時にしっかりと
空間を広げ
感覚を研ぎ澄まし
ここは地球であって、それ以前に宇宙である
という感覚をしっかりと持って
感覚を響かせていなければならないなと
まだまだ
というか
きっと一生考え続けなければいけない課題なんだろうなと思う次第でございます。
ーおしまいー
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