2017年01月11日

安心てなんぞや?

2017年1月11日水曜日




人間というものは常に


安心を求め生きる生き物である。



その安心を


力んで気張って掴むのか



力を抜いて気張らず掴むのか






結果は変わってくるものである。





気張って掴む安心は



一時的なものとなり振り子として不安が戻ってくる





力を抜いて掴める安心は




今できる一番楽な安心から始めることができるため




振り子が振りにくいが日々確認が必要となる





気張って掴む安心は



物理的安心に目が行きやすく



精神的安心がおろそかになりがちであり





力を抜いて掴む安心は



精神的安心に目が行きやすいが



持続しなければ満足感を得られにくい








どちらを選ぶにせよ




安心というもの自体が





曖昧であり不安定である



不安があるから安心が分かる




安心と安定





不安と不安定







背中合わせである





自分にとっては安心であり安定であるものが





他人にとっては不安であり不安定であることもある





ただいつ何時も人は生きている限り




安心を追い求める





大切なのは



安心、安定というものは




自分で見つけるものであり




人に教えてもらうものではない




自分にしっくりとくる安心は自分でしか見つけることができない





きっとそれは



形があったりなかったり



状況によって変わったり



どこにでも転がっていたりいなかったり



安定というもの自体が曖昧だからなのであろう



と思う今日この頃




posted by Ryuhadoo at 09:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 気功、波動、心、体 | 更新情報をチェックする
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